ハイジスタンド父を考える2


(日曜日、横浜に虹がふたつかかりました。見た人いる?)
父の日の「父革ストラップ」の販売を開始した。
ここで見えてきた真実がひとつある。


父の日に何かあげる人って、
もしかして、少ない?
少ないね?
バレンタインにチョコを送ったことは
何年も前にあったけど。
私も毎年、父の日なんて全く無視。
母の日の便乗商売ぐらいにしかとらえてない。
だよなぁ。あげないよなぁ。
毎年あげてる人ってえらいなぁ。
でも、私は!今年は!
父革ストラップ、送る予定だからね。
自分、えらいよ。
使わないと思うけど、あげるよ。
問題は「何をあげるか」じゃないからね。
「感謝」とか「励まし」がこめられてる、
ってことが大事だからね。
最近、父と会話してないなーと思う私のような皆さん。
父革ストラップじゃなくてもいいけど、
今年ぐらいなんかやってあげませんか?
お料理作るとか、お酒をさりげなく買ってくるとか。
父って、あれだよね。
母と比べて、影うすいもんね。
仕事してるし、家にあんまりいないからさ。
子供が母びいきになるのもあたりまえ。
「なんでいつもお母さんばっかり」
っていう気持ちをもっていない父は
いないと思うんだよね。
えー。ではここで。
昔、さだまさしが選んだ子供の詩集の中から、
某詩人(当時5歳)の珠玉の一篇を
書きうつしました。
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すき
わかばはね
おとうさんもおかあさんも
ふたりともすき
だって
おとうさん きらいっていったら
おとうさん さみしいでしょう
おかあさん きらいっていったら
おかあさん さみしいでしょう
だから
ふたりとも すきっていうの
わかば じぶんも だいすき
だって
だれも わかばのこと
すきっていってくれなきゃ
とっても かわいそうだもの
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この詩をですね、父と母の不公平をなくそう、という例で、
ご紹介しようと思ったのですが、よく読んでみると、
結局、自分ダイスキっていう詩でした。
ナルシストめ。