去年の暮れに忘年会っぽいものを
コバ〜ルのスタッフだけでやりました。
もちろん、カレーパーティ。
その日の様子はあまりに素敵だったので、
機会があったらまた書きたいと思いますが、
私がこのパーティからあえてセレクトしたものは
「フルーツポンチ」
おいしかったし、まさかこんな素敵なものが
デザートに出てくるとは思わなかったし、
フルーツポンチを久々に見て、意識が昔に飛びました。
私の家はごく普通の公務員家庭でしたが、
なぜか、質素な公務員住宅には似合わない
チーズフォンジュセットとフルーツポンチセットが
あったのです。
フルーツポンチセットは、
デコラティブな大きなガラスの器に
5組のグラスがS字型の小さなステンレスにひっかけて
ぶらさげられるようになっていて、
フルーツをすくうミニオタマつき。
これらのセットは、八戸の三沢基地から
父の客が来るときなどに活用されていました。
英語教師の父は、時々、外国人の客を
どこからか連れてくる趣味がありました。
まだ小学生にもなっていなかった私には
それはとても怖い出来事でした。
できれば、そっとしておいて欲しかったのに、
一番いい服を着せられて、挨拶をさせられました。
そして、強制的にイングリッシュトーキング。
ちびトモコの当時のウリは、
ほとんどの動物の名前を英語で言えることだったらしい。
今は全く覚えておりません。
英語を話すとアメリカ人たちは、
にこにこして声をかけてくれるのだけど、
それすらもひたすら怖かった。
基地からのお客は体格の良い大男が
多かったからかもしれません。
フルーツポンチセットが予告なく
押入れから出ているのを見ると
また、あの人たちがやってくるのかと思って
びくびくしていたものです。
その後、さらに田舎へ引っ越してからは、
怖いお客もこなくなり、
フルーツポンチセットは、
家族パーティのために使われる
楽しいセットになりました。
久々に、家庭的なフルーツポンチを見て、
小さい時の恐怖と、家族パーティの
わくわく感を同時に思い出したのでした。
コバ〜ルのカレーパーティが行われたのも、
アメリカ人の穏やかでおとなしい御主人がいる
コバ〜ルプロデューサー(女性)のお宅。
私にとって、フルーツポンチ=アメリカだったのです。
今思うと、チーズフォンジュセットと
フルーツポンチセットは、
ちょっと背伸びしてアメリカンライフを真似た、
父と母にとって特別なものだったのでしょう。
フルーツポンチの怖いほうの思い出は、
妹ハイジにはありません。
「ゼリー」のことを「ジュレ」と言わされたり、
輸入ものの「オートミールクッキー」を
よく食べていたのも私、姉ハイジだけなのです。
姉ハイジが、妹ハイジより
身のこなしが格段にアメリカンなのは
そのせいかもしれません。な?